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第11回親鸞賞 記念講演

一般財団法人本願寺文化興隆財団 理事長
大谷 暢順


大谷理事長による記念講演

 はじめに
 フィクション文学賞「親鸞賞」がおかげさまで本年、記念すべき創設二十周年を迎えました。まずは、お祝辞、ご後援を下さった与野党国会議員の先生方を初め、京都市、京都府、京都商工会議所、文化庁等の各位に御礼申し上げます。
 当財団では「親鸞賞」とノンフィクション文学賞の「蓮如賞」を毎年、交互に開催し、両賞ともに「日本人の心」を深く考察する作品に授与する、京都初且つ宗教家の名前を冠した世界で唯一無二の文学賞として、四半世紀に及ぶ多大な実績を重ねて来ました。
 他の文学賞とは異なり、授賞式だけでなく、選考委員の先生方と受賞者によるシンポジウムを毎年、開いてきたほか、平成二十年には「日本人の智恵」を人類共通の叡智にと「京都文化マニフェスト」を京都市長の門川さん、選考委員の先生方とともに世界に向って宣言しました。
 こうして、今年も亦、文学賞を通して皆様とともに日本精神と文化を再考し、その叡智を京都から世界に伝えて行きたく思っています。

 日本文化の基底を成す「神佛習合」
 さて、我国の歴史を顧みますと、六世紀中葉の大陸の文物の受入れによって文化の飛躍的な発展が始まっています。この大陸の文化とは概ね佛教文化と言えますが、佛教が我国に伝来したのは、釈尊生誕後一千年近く経ってからの事であります。つまり佛教は大陸で已(すで)に千年の歴史を経ていて、その間に、根本佛教、部派佛教、大乗佛教、又顕教、密教と教義、教団、文化に於て様々の変遷、発達を遂げていました。
 それ等が全部、一時に我国に入って来たのですが、而(しか)もそこには、この教(おしえ)の生れたインドを初め、その通過して来た国々の民間信仰なども混入していたわけで、それ等の間には、当然、様々の矛盾・背反もあったでしょうが、当時の我々の先祖は実に驚くべき叡智を以て、それ等を併立させて学び取ったのです。
 更にそれに加えて、我国の歴史始まって以来の神道の教を、我々の先祖は放棄するどころか、何とか佛教との融合、一元化への道を模索しました。その結果、本地垂迹説が起ったり、神宮寺が建立されたりするに至ります。
 こうして、神道は外来の佛教を知る事によってその教えが昂(たか)められたし、佛教も神道と融合して、より深い境地、大乗の至極に達し、両者は一体不可分の教法となりました。これが世界に冠たる日本文化、精神の基底を成した「神佛習合」の思想です。

 「一切皆苦」と「ものゝあはれ」
 ここで日本文学に目を遣(や)りますと、神佛習合の思想を離れて存在し得ません。其の最たる例が世界最古の長編小説として名高い『源氏物語』であり、佛教の無常観、神佛習合の思想が産んだ「ものゝあはれ」が核になっています。
 釈尊は「諸法無我(しょほうむが) 涅槃寂静(ねはんじゃくじょう) 一切(いっさい)皆(かい)苦(く)」と、この世は一切が苦しみであると喝破されました。これが日本に来て、神道の惟神(かんながら)の道の心と融合して、「一切皆苦」が「ものゝあはれ」という理念に、言而(いわば)、止揚・アウフヘーベンされたと言えましょう。
 即(すなわ)ち「もの」というのは、一応「一切皆苦」の「一切」にあたると考えられるでしょう。佛教は世の中の凡(すべ)てが苦しみであると説き、それを超越・超克して寂静の涅槃の境地に達するよう教えます。然(しか)し日本人はその「一切」、「もの」、は「あはれ」だとして、苦しみを超越・克服するのではなく、苦しみの中に自らを没入させ、そこにしみじみとした情趣を感じる、救いを見出す。「もの」即ち自然、対象と、「あはれ」即ち人の心が融け合った中に、ありのままに心情が吐露される姿―と言ったらよいのでしょうか、つまり外の世界(一切、もの、)を排除しない。その中に日本文学、日本文化は自らを生かして行く境地に到達し得たのです。
 昨今、「ものゝあはれ」は、「情けない、可哀そう」という意味の「哀れ」の一寸(ちょっと)洒落た言い廻しぐらいに思っている人が少なくないようですが、これは如何(いかが)なものでしょうか。
   抑々(そもそも)「あはれ」は元々「あゝ」という意味の感動詞で、今日のように「情けない、可哀そう」という意味の「哀れ」だけではありません。対象・外界に接した時に起る人間の感情、感動を「あはれ」と言ったのです。そこには喜びも悲しみもあるでしょう。つまり、「あゝ可哀いそう」という惟(おも)いもあるでしょうが、「あゝ楽しい」「あゝ嬉しい」或いは「あゝ美しい」「なんて見事な」というような事凡てが「ものゝあはれ」です。そこで知性の覚(さとり)である釈尊の佛教が、感性の覚の世界に止揚、アウフヘーベンされた姿が「ものゝあはれ」であろうと私は思っています。
 又、神佛習合の教を因(もと)に開花した『源氏物語』をはじめとした多くの日本文学は実に人間性の目覚め、発見も示しています。而してその濫觴(らんしょう)は万葉集、又もっと遡って、ルネッサンスの誕生より遡ること六、七百年以上前の七世紀、数百年の口伝(くでん)を経て文字化された古事記、日本書紀にも認められます。

 「浮世(うきよ)」の思想
 このように、人間性の目覚め、発見とともに、あらゆる自然に霊性を見出し、美の対象とする感性が溢れる日本文学は、人類共通の遺産と申しても過言ではありません。
 続いて、時代は下がり、治安のよい、安穏な江戸時代には、井原西鶴の文学「浮世草子」や「浮世絵」等、所謂(いわゆる)町民文化が発展します。
 通説では、享楽的な人生を美と捉えるのがこの町民文化とされますが、私は「はかない俗世なら浮かれて暮らそう」と言う短絡的な価値観でこの町民文化が栄えたとは思えません。確かに浄土教が日本人の精神構造に与えた厭世観は大きいものがありますが、それは単に俗世を厭い、自由きままに刹那的生活を謳歌する事を説いたのではないのです。
 ここで、西鶴に影響を与えたとされる江戸時代の仮名草子作家・浅井了意が記した「浮世」についての文章を紹介します。彼は東本願寺末寺の住職で、当時の政治、風俗を洒脱、滑稽に批評し、民衆の啓蒙を図った人物です。
 「世に住めば、何かにつけて善悪を聞くけれども、一寸先は闇だから、気にとめず、あれこれ思い煩わず、なるようにしかならないから、月や花を楽しみ、歌を歌い、酒を飲み、無一文になっても苦にせず、深く思いこまない心で、屈託なく世の中を生きていく、これを浮世と名づける」。
 まさに了意は全ての苦しみの因となる執着を捨て去って娑婆(しゃば)を明るく生きていくことを勧めるとともに、この生き様、人生哲学を文字通り、「浮世」と呼んだのです。
 江戸時代の庶民は、日常生活の中に無常を感じ、この世のはかなさを自覚しつつ、而も人生を大切に、積極的に楽しもうと考えたのです。即(すなわち)、「浮世」の思想には佛教によって生死(しょうじ)を超越した日本人の「人生哲学」が込められているのです。

 「印象派」に影響を与えたジャポニスム
 他方、ルネッサンスに始まる近代ヨーロッパでは、ユマニスムが唱道され、次(つい)で大発明、大発見の時代が到来し、科学が長足(ちょうそく)の進歩を遂げて、人間の幸福は限りなく増進すると思われました。然るに、反面、大国間の勢力均衡が潰れて、しばしば武力衝突に発展したり、国内的には階級闘争が激化して、次第に社会不安が募り、十九世紀後半から、西欧世界は人類の将来に失望を覚え始めます。
 そんなやるせない閉塞感が漂う中、ジャポニスムの旗手と言われたマネ、ドガ、モネ、ルノワール、ゴッホ等の画家、版画家のブラックモン、彫刻家ロダン、作家のゴンクール兄弟等は、この「浮世」の思想を表現した浮世絵と出会います。
 彼等は浮世絵に込められた、当時の日本人の現世観、ままならぬ娑婆故(ゆえ)に、それを喜びや楽しみに転じる生き方、来世の往生を阿弥陀佛に帰依(きえ)する事によって約束された故に、憂鬱な「はかない」現世を確固たる信仰に基づいて逆に謳歌すると言う日本人の人生観に感嘆、閉塞感を解決する術(すべ)を見出し、「印象派」を産み出します。その後、これは社会の様々な分野に波及し、西欧人の精神界に大きな影響を与える事になります。

 おわりに
 以上、我国が世界に誇る神佛習合の思想を基底に華開いた日本文学の概説を駆け足でお話しました。我々は二千数百年の悠遠の歳月の中に、神の教、佛の教によって絶える事なく然も不断に深化発展して来た日本の歴史、文化、日本の心に惟(おも)いを致したいものであります。
 我々の文学賞「親鸞賞」は、日本文化高揚を目的として設立され、今回を以てめでたく二十周年を迎える事となりましたが、此度(このたび)もこの精神に則って『グッドバイ』という、朝井まかてさんの力作を見出す事ができました。後程選考委員と、受賞された朝井さんのお話をゆっくり伺いたいと思います。どうぞ御期待下さい。
 御清聴、有難うございました。

以上