求道塾セミネール 参加者の声
◆ 「いつも意味を理解しようとすると、答えが遠ざかって、ぐるぐると廻ってしまいます。常に分からない事が信心で、「聞くは信心なり」と言いますから、分からないながらも、何事も何事も聞くことによって、いつか理解できるのではないかと思っています。愛に生かされ、愛に生きる。愛が佛法であり、阿弥陀様であり、本願力をいただいています。」(平成27年1月25日参加者)
◆ 「①「知れるところを問ふ」ことに依り、②「何も知らない自分を知り、自覚すること」。そして、③「信仰すれば、徳、得をする」。④「佛法を愛し、信仰を獲得することが大切である」。自分自身謙虚に生き、信心することだと思いました。「感動=信仰」「理屈ではなく、自分自身の奥底から湧き出づるものでしょうか」。」(平成27年1月25日参加者)
◆ 「愛も信仰も、常々心に留め置き、迷いつつも求めることである。」(平成27年1月25日参加者)
◆ 「「愛することで、豊かな精神生活がある」や「感動即ち信仰である」というお言葉をいただいて、信心の生活とは、心安らかで美しいと再確認いたしました。参加者が挙手をされ、意見を述べられる姿に、宿善が備わっている人が集まりつつあるのかと感じました。」(平成27年1月25日参加者)
◆ 「知っている事柄について問い質す、答えは得られないかも知れないけれど、考えるだけで徳があるのだと聴いて、嬉しかったです。それが、信仰心に繋がるものだと台下が言われました。人間一人では生きていけません。努力することは必要だし、人に対する思いは大切にして日々感謝し、信心を養っていけばと思います。」(平成27年1月25日参加者)
◆ 「「知れるところを問ふ」ということを、自分自身について知ることだと解釈していましたが、理事長の仰った「佛法を愛する」に至るまでの考え方についてもっとお伺いしたいです。後半のディスカッション形式は、台下にお話をお伺いできる貴重な機会であり、良いと思いました。」(平成27年1月25日参加者)
◆ 「大学では、人文学系の学問を学んだことがあるので、テキストの数行の部分に時間をかけて読み解いていく講座には、たまらなく魅力を感じるとともに、深く印象に残りました。一方で、信仰とは感動であり、勉強して身につくものではないというお話を受け、身につまされました。やはり謙虚な姿勢が大事なのだと思いました。」(平成27年1月25日参加者)
◆ 「「自分とは何か」、「人生とは何か」の問いは、大事なことと分かっていても、日々の中で考えることをやめている人は多いのではないでしょうか。少なくとも、セミネールを受講した方は、その問いを改めて考えたと思います。願生偈のお話をされたときに、「佛法を味わおう、愛そう」、「佛法をプラスに捉えて欲しい」と話されたことが、非常に心に残っております。」(平成27年1月25日参加者)
◆ 「「知れるところを問ふ」ことは、佛法を聴聞しても理解を得ることは難しい、されど繰り返し聴聞することで、心が豊かになり、喜びを感じることである、とのお言葉がありました。何か胸のつかえが取れた様で、再度問い続けなければならないことだと思いました。」(平成27年1月25日参加者)